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さわや書店/田口幹人さん

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【第16回】株式会社さわや書店 田口幹人 さん

 

 

 ”毛細血管が僕たち地域の書店ならば
 
たまには血の巡りを逆流させてもいいかな”

 

 

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株式会社さわや書店

商品管理部文庫・新書担当 
兼 フェザン店 店長 

 

田口 幹人(たぐち みきと) 

 
   

岩手県西和賀町出身。39歳。
「町の本屋の息子」として生まれ、幼い頃から本と親しむ。仙台の大学を中退後、岩手に戻り第一書店に就職。その後実家を継ぐも志半ばで断念。当時さわや書店本店店長だった伊藤清彦氏の誘いを受け、現職に就く。
大の酒好き。スタッフとのコミュニケーションの場はもっぱら居酒屋だとか。

 
 (2012年7月取材当時)  
    
 

1947年(昭和22年)に、盛岡市の中心街である「大通り商店街」の一角に店を構えたさわや書店。店づくりのコンセプトは「本好きが集まり、本好きに支持される店」。
現在岩手県内に本店・支店合わせて9店舗を展開。
近年は郊外に進出した大型SCに人々の足が流れ苦しい状況を強いられる中、JR盛岡駅ビル内に店を持つフェザン店は、独自の取り組みを行い奮闘中である。

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書店員になったきっかけを教えてください。

 

 この話をすると、単行本2冊くらいになりますよ?(笑)僕は岩手県と秋田県の県境、人口が数千人の町に生まれ、実家が本屋を営んでいました。仙台の大学を中退後は実家と付き合いのある取次業者の縁で、当時さわや書店本店の真向かいにあった第一書店で5年半働き、その後実家を継ぎました。僕の場合は「本屋になる」というよりは「地域の人間になる」ということが非常に大事だった。20坪の店で本だけでなく化粧品の販売、保険の代理店、もちろん農家もやってました。まぁ、田舎の商売ですよね。それが当たり前の環境で育ってきたし、全く嫌じゃなかった。
 しかし現実は厳しく、大型SCの進出に伴い商店街は衰退。僕も店を閉め、さわや書店に入りました。今思えば「本屋の末期」を味わいましたね。結局僕の町には本屋が一軒も無くなってしまったんです。確かに車を走らせれば、ネットを使えば本は買える。でも、なぜ「本屋」にこだわるのかというと、その地域のコミュニティーの一つだったんです。本屋は地域と共に生きて、地域の中の一つのもの。難しいけど、「書店」とはニュアンスが違う。それは今でも根強く思っています。

 

 

フェザン店では「地域の本屋」としてどのような点を意識されていますか?

 フェザン店は、店の正面に郷土の棚を置いています。それを徹底的にやろうと。いつも取次さんには「変えてください・・・」って頼まれるんですけどね。僕らが扱う必要の無い話題は大手に任せます。 

 その観点から『震える牛』(※)に力を入れています。この本が出ることはずっと前から分かっていて「地方の現状」というフェアを組み、売るための準備をしてきました。多分ピンとこないといますが、僕の生まれた町は全人口の55%を高齢者が占め、更にその多くが独居老人世帯という超高齢化社会。何かあっても動けるがどこにもいない、いわゆる「限界集落」です。でも何も知らずにそう呼んで欲しくないんです。

 「大型書店が動脈、静脈を担っているとしたら、毛細血管が僕たち地域の書店なんだ」と伊藤(さわや書店元店長)に教わりました。その毛細血管が詰まり、血液の循環が上手くいかなくなってきている今、たまには血の巡りを逆流させてもいいかなって。だから僕は『震える牛』にこだわります。末端の僕たちが声を上げ、そして中央の人たちが声を上げ始めたら業界は変えられると思います。

 

震災を経験され、さわや書店が果たす役割について教えてください。

 この震災を通じて、「地域の繋がり」を感じたことは数えきれないほどありました。 
 ここ盛岡市は沿岸部から離れているため、幸い津波の被害は免れました。しかし沿岸部に位置する釜石市では、うちの支店以外全ての本屋が流されてしまったんです。すぐ釜石店に足を運んでみると、本を求める被災者が集中したため、既に本が無くなっていました。物流が止まり書籍の入荷も不可能な状況の中、自然な流れでフェザン店の商品を持って行くことになりました。〈釜石では何十年もお世話になっている。うちに本が無くてもお客さんは分かってくれる。〉と。
 それから「さわや急便」と名付けた車で毎日釜石に書籍を運びました。そこには本を求める多くの人がいる。本って生活の一部なんですね。僕は本を売りたくても売れなくて店を閉めた。だから、こうして多くの人に本を手渡せる喜びは人一倍強い。それを釜石では痛切に感じました。
 フェザン店のお客様といえば、週刊誌も発売当日に一冊残らず釜石に持って行ったものですから、当然「あれ?ジャンプないの?」って聞くんですよ。「ごめんなさい、釜石に持って行きまして。」とこちらが答える。これが私たちとお客様の関係だと思います。
 震災から一年以上が経過し、テレビもラジオも新聞も一時的にしか取り上げなくなっていますよね。しかし沿岸部の人たちは今でも「絶賛被災中」なんです。「今こそ被災地に想いを」というフェアを一ヶ月前からやっていますが、これを単発で終わらせる気はありません。風化を防ぐという意味で「本」の果たす役割は大きい。店頭、ネット、ラジオ、地域の情報誌、使えるツールは全て使って一冊の本を売ることに全力を注ぎます。売行きはとても良いです。
 これも「逆流」ですね。

 

 

全国の書店員さんにメッセージをお願いします。

 おそらくみなさんが想像されている「さわや書店」は、5、6年前のさわや書店です。これまでは伊藤というカリスマがいましたが、もういない。今はスタッフみんなで店を作って行かなければいけないし、「誰かがやっている」という意識はありません。僕たちの「さわや書店」は発展途上。まだまだ伸びます!
 しかし変わらないものもあります。何十年も前からさわや書店が使い続けているブックカバーに書かれている「わたしは、わたしの住む街を愛したい」という気持ち。これが全てです。(下図参照)

 

 

 

 

 

 

 

       
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一冊の本に全力を注ぐ!
こだわりのPOPをご紹介

 

 

田口さんの得意ジャンルである時代
小説はPOPの量もダントツに多い。

 

 

文庫の平台。必ずしも新刊を並べるわけでなく、季節に合わせて売れる本を置く。

 

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『震える牛』の隣には関連性のある『限界集落株式会社』が置かれる。『震える牛』の登場人物で巨大権力と闘う警察官、女性記者が発する一言一言に、地方出身者なら共感するところも多いはず。

 

 

 

さわや書店オリジナルブックカバー。昭和32年頃の盛岡市のメインストリートであった大通り商店街が描かれている。

「わたしは、わたしの住む街を愛したい
手あかにまみれた一冊の本のように」

 

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Q.なぜオリジナルPOPにこだわるのか?

A.POPをつけた本に責任を持ちたい、これが今うちの売りたい本なんだ、という強い意志表明です。

 

 Q.ズバリPOPとは?

A.レシピです。本屋も八百屋も同じ。本屋にとっての産地は出版社。中身は味。味がわからないのに野菜を買いたいですか?そういうことです。

 

 

 

 

田口幹人さんのいちおし☆BOOKS

 

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 「これからの誕生日」

 穂高 明(著)

 双葉社

 
  

 

【作品解説】 

 

どうして私だけ生き残ってしまったの。たったひとり、少女はバス事故で助かった。深い心の痛みを抱えて過ごす日々の先に―。とりまく人々の心模様を絡めて描いた、優しい強さが沁みわたる「再出発」の物語。 

 

【オススメ理由】

この本が出たのは震災直後の5月。「なぜ自分だけ生き残ったのか」と苦しみ続ける少女と、自分が重なりました。この本が示す「優しさ」というものが、一年経ってやっと分かってきた気がします。今だから読める本。今こそ読むべき本です。

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  こちらの記事はDAIWA LETTER34号に掲載されています
   
 

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